水没。捻じ曲がって鈍く光るシルバーの開封されたピルケースが吸い殻に混じり灰皿にたくさん投げ込まれている。年明けから風邪をこじらせ長く伏せていた私はこの午後も、散乱する脱ぎ捨てた衣類と「いろはす」と「アクエリアス」の空ボトルの山々に囲まれた布団の中でただ蠢いていた。身体の中で小さなボーリングがあちらこちらに転がるように、怠くもたついた重心を抱えてどうにもままならないまま、抗えぬ重力に負け布団に身を縛られていた。午後5時。残酷な時計に許されることはなく、漸く起き上がる決意をした。部屋のあちこちに点在するクリップライトを一つずつ付けていく。薬で酩酊した頭をコーヒーとタバコで誤魔化すように振り払い、ゆっくり呼吸を整え、身支度をし、水性に降り立った。
降り立った私は今月も立ち会い人として、水性演劇部を見届ける使命をきっと全う出来るだろう。そう願って。
降り立ち、水性のちょっとした自動車も買える六馬力の暖房もすぐには効かないその間に、高山さんが体を縮め、腕を早送りのようにさすって寒いねー、と荷を下ろして準備を始めている。体調不良であるという泣き言は伝えてあったので心配してくれ、今日は予約も少ないので中止にしようかと思ったよー、いやぁ…すいません、などと言いつつ、はじめて予約定員に達しなかった日だったし、私も調子良くないけれど、少ないなら個別にじっくり話せるし、こういう日もあると良いと思っていたからのんびり良いんじゃないかな、という意見は一致した。
またその予感も当たることとなった。
晩冬に入りつつある乾いた冷気に、少し前から参加者には気の毒な小雨が降り落ちていて、水性に入ると道中で傘を買ったという人もいた。「帰りに忘れないようにしてくださいね」と伝える。買ったばかりであるということ共に、傘というものは、こういったスペースでは時に一気に増え、時に一気に貸し出してなくなるなど「傘の循環」が起こりがちだが、コンビニなどで平気で傘を持って帰ってしまうモラルの欠如した人間が私は嫌いだったから、「傘は循環するものだ」という誤まった社会通念をこれ以上広めたくはなかったというのもあっただろう。あなたの傘はあなたの傘だ。
新しい数人と、すべての回に来てくれている頼もしいひとりが今日も来場、安心を届けてくれたところで始まる。固まった体をぎこちなく動かし、サボりながらも頑張って体操。車座になってエピソードを話していく。人数が少ないので、皆少し長く話した。少し詳しくエピソードのディテールや質問の問いかけもしてみた。少しだけだけど、それだけでこうも違うんだな、と感じた。
距離が縮まると感じ、暖かい。
傍に見える水性の窓の外では寒風の中、身を縮め早送りのように足早に帰路に向かう人々が見える。車座の中の私は、話が進むにつれ次第に見えることのない炬燵を囲んでいるような暖かな感覚を覚えた。人数が少ない分、普段より小さな円だということもある。身を寄せ合い、エピソードをいつもよりほんの少しだけ深掘りする。少しだけ深度を増してその人の中に入りこむ。そうして、みんなの人肌をより感じたのかも知れない。心理的なものだが寒さは寂しさと関係する。集まって話すことは心身に暖かい。
寒い地域では口伝による民間伝承がより豊かに伝わるという。寒い冬の夜に身を寄せ合い語り合い、長い夜を越していく姿を想像する。
この日は私もエピソードを話した。何しろ寝ていて最近の出来事を持たない私は「寝ながらiPadでゲームばかりしていました」と素直に話した。子供の頃以来のゲーム体験には面白い側面もあったが、布団の中で頭と肘上だけをあげた姿勢で、小さな報酬が繰り返され持続を余儀なくさせられつつ、いつの間にやら時間をひたすらに浪費するゲームという悪魔に救いを求めた無念の日々だと感じてもいた。しかしそれをみんなに差し出し、演劇となった。さっきまでの自分の姿が小さく滑稽なワンシーン、みんなのさまざまなエピソードの一つとして演じられると、不思議と救われ、許され、仕方ないよね、と思うことが出来た気がした。

結局、立会人としての使命は全うできたか分からない。皆は雨上がりの冷たい空気の中どんな帰路にあったろうか。私だけの役得で、水性からそのまま自室に戻ると先ほどの演劇と同じ姿勢に戻ってしまった。けれど、少し安心して。
この日はほとんど初対面の人達、それぞれは緊張もあったろうが、さまざまな人が集い、寒い冬にみんなで鍋を囲む暖欒のような時間だった。これは私が感じただけだったが、みんなもそう思ってくれていたのなら嬉しい。
傘を忘れた人はいなかった。
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