11月。暖冬の気配もあったが油断大敵、急に寒くなり、今年もあっという間に師走へ走っていく世のようだ。世情にも気候にも付いて行けぬままに、今月も月に一度の月曜の夜「水性演劇部の夜」だった。
些細なことが積み重なっては日々過ぎていき、私達はあっという間に年老いて、何を成したか分からぬままに、振り返って省みるたび、人に誇る事があるだろうか、ああ…と嗚咽し煩悶することもある。諦めばかりでここまで来てしまったかも知れない。大きな決断やチャレンジをして、失敗してでも劇的な事が起きていたら良かったのに、と思ったりもする。凡庸でその他大勢のひとカケラのままで、主には平凡以下の日々に終われ、大きな達成感を得ることもなかった、と思ったりする。
それでも生きる為に積み重ねてきた些細な、それぞれ必死だったり、コツコツだったり適当だったりわがままだったりくだらなかったりする日々は終わらない。終幕はいつか分からぬまま積み重ね続けているのが生きている証だと思う。
変わらぬ日々のなか、愉快な面白い日もある。ちょっと面白いとか、なんだか妙だなとか、わりと素敵だなとか、はじめてだったな、はじまったな、終わったな、終わったのかな?、あれ?、あれってなんだった?、とか、そんな気づきを得ることもある。小さな宝物たちだ。
このWSに立ち会うと、皆さんの中にあるそんな些細な気づきの日々を(皆さんは立派な暮らしをしていると思いますが)、小さく灯して祝福したいという願望が私に(私達に)あるのだと分かる。
今日は「笑っていいとも!」の歌で終わった。伊藤銀次作曲のウキウキウォッチングだ。ライブを見にいったあるアーティストがカバーして良かったから、とその人はソラで歌ってくれた。歌うその人の姿も、その姿から伝わる体験も素敵だったし、この曲を通じてたくさんの物語を思い起こした。つまりこれが演劇の力かな?と思った。小さな水滴が広がる。
水性演劇部にしては良く出来すぎた終わり方でもあったが、割と頻繁に良く出来すぎてることがあるのが嬉しく、驚く。
「笑っていいとも!」を最大限に怠惰な姿勢で見ていた日々のことを思い出した。さあ、思い出そう…気怠い職場のお昼休み、はじめて風邪を引いた日、バイトをサボって蕎麦屋にいる日、仕事を辞めてラーメン屋を外から眺めてた日、大切な人が死んでようやく起き上がったけどまた寝ちゃった日、どこにもいられなかったのにここにいることを許されたと感じた日、その日々の窓からの日差し。無数にある誰かのお昼どき。田舎では夕方かも知れないと聞いたから夕暮れ時。
今日がダメでもいいトモロー
きっと明日はいいトモロー

では「来月は水性演劇部オープンクラブ」です。
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