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Reiko
Takayama

満月も雨も見えた日

  • 執筆者の写真: ひかるうじ
    ひかるうじ
  • 10月6日
  • 読了時間: 4分

⚪️初めての水性演劇部。見学者としての参加なのにだいぶ緊張。着いてすぐ、高山さんのさり気なくもその場にいるみんなへ届く声での「日本一ゆるい演劇部なのでね。」に、ほっ。限られた時間の中でもまずはたっぷりと気持ちいい体操から始めてくださり(見学者のみなさんも一緒にどうぞと言っていただき参加)、体のこわばりはどんどんほぐされていく。


︎⚪️まず、参加者のみなさんが話すそれぞれの日常の話しに惹き込まれる。


⚪️自分の体験を人に伝えるときのあの豊かさ。エピソードちょいす、喋り方のリズム(その人だけの滑らかさ)、それぞれに、ここへ来た理由。


︎⚪️今日は見学者が多かったのもあって、いつもより、すごく緊張感があったとみなさん言っていた。見てる人がいない時はどうだったんだろう。演技にはどんな違いがあったのだろう。


︎⚪️ほりうちさんの、電車内でテレパシーを使って父と会話をする『つかまえる』という作品で、練習の時に少しやりにくく感じていそうなほりうちさんに、前澤さんと高山さんが「これはでも演劇だから本当にテレパシーやらなくてもどちらでもいいかもしれませんね。」と声をかけていたのをきいて、はっとする。


⚪️自分の体験を演じてみるときほど、本当のままをやれているかどうか気にしてしまいがちな気がする。私はそう。でも、嘘でやってみると、そこに別の発見、別の本当みたいなのがでてくるかもしれない。自分の体験、だけでは気付けなかった視点に出会えるのかもしれない、と、この日のそれぞれの作品たちを見ていて思う。


︎⚪️それぞれの作品を通したものをみる。何か、と何か、がつながる、流れていく、ことについてをすごく思った。上手く流れる、ということよりも、流れ出したなにかが止まらずに、流れ続けていることが「本番」において大切なことなのかもしれないと思う。

高山さんが、最後に作品を通すための順番を決める。それは演出や構成、というよりも、そこに集まった人たちと一緒にいちばん、今、が流れ出しそうなやり方でやっていこうとしてる、ようにみえた。(その高山さんの、見抜く力、すごかった。)


︎⚪️自分が作品に出てないときは外から見ていていいけど、さっきまでの流れをなかったことにしない体で、というようなことを高山さんが参加者のみなさんに言っていた。そしてそれは見学者の私も、そのようにここに居たいと思った。


⚪️シーンによって、どこか遠い場所に来たように感じることもあれば、まさに今ここを見つめているときもあって、どんな場所からも、また次の場所へ行く、この移動をみんなで共にする、それがそのまま何かになってっている気がした。


︎⚪️そこで起きてることひとつひとつ、私にはまだ何と言えない現象ばかりで、その場が予測不可能に動きつづけているのを感じていた。

以前、きぐちさんに稽古中にいわれた言葉、「演劇に、外、はない」を思いだす


⚪️︎ひとつだけ、飛び入り出演。普段、戯曲を読んでそこから動いていくのとは違った。

まだシーンをつくる前、マレーシアのおじさんとの思い出をみんなに話していたときの、彼女の身振り手振り声や話し方から、私が想像していった景色があり、その人の思い出(≠わたしが想像していった景色)にいざ入っていく感覚。その嬉しさ、躊躇、挑戦、反省、やっぱり嬉しさ。

何が嬉しいのか?相手のことをよく知らなくても、同じ思い出を一緒に経験していなくても、今、新しく一緒に経験できたということが、嬉しかった。


⚪️︎最後に高山さんが言ってた。演劇、っていうことだけをとっかかりに、人が集まって、また散らばっていく。

私もそうだ。演劇、にひっかかって、来た。こういう演劇が好きだ、とか、気付けば私のほうから演劇に対して何かを選んでしまうようになっていたけれど、こっち側からじゃなく、演劇だから、そうかこれがこうなったし、こんなことができるのか、こんな時間が過ごせたのか、そっち側からの、演劇からの磁場でできた水の流れ。何を言ってるのか。来てよかった。ここに来る前の私の日常から繋がっている。ここに来ただけで、もう始まるのだとわかった。そしてそれは集まった人の数だけ選択や角度が生まれて、いろんなところから始まれる。水性演劇部という場所で触れた演劇の強さと柔らかさのおかげで、いつもよりまっさらな気持ちで人前に立つことができた。

私がたまたまこの日に持ちあわせていて小道具としてつけたサングラスは、この日から、知らないマレーシアのおじさんの陽気さを留めている。知らないおじさんだけど、演じたことがあるおじさん。みなさんと日常を演じられたことで、わたしの日常が少し変わる。



ひかるうじ

 
 
 

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