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Reiko
Takayama

4月の立ち会い。「あたしい演劇のかたち」

  • Hideto Maezawa
  • 6月7日
  • 読了時間: 2分

更新日:6月13日

最近は演劇ならではの歓びが増してきた。

「人々が集まってお話しして演じあう」という、それだけでも豊かな時間が作られてきていたけれど、もう少し踏み込んで演劇ならではの様々な遊びや工夫を凝らすようになってきた。


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照明さんがきてくれたりして光を作ったりすることも多くなって、演出するとまではいかないギリギリのところで、とても慎重に高山さんが演劇部のみんなのお話からエッセンスを抽出し、様々なアイディアを即興的に凝らし膨らましたりしている。何度も来てくれ慣れてきて引っ張ってくれる人たちの力もある。


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「本番」と言ってきた、最後に通す時間はより「本番」らしく緊張感があって、ワークショップと銘打っているけれど、充分に公演のようだ。関心を持ってくれる方が多くなって、見学者を入れていることも大きい。

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様々な人生を歩んできた人たちが共にたった2時間くらいで、誰もがフラットな立場のまま、たった一度きりの「演劇」をやる。そのこころざしが確かに形になって来ているだけでなく、そういう形だからこそのスリルと、参加者個人が持つ個性のありのままが見える。

人々の個性や魅力が生身のまま各々のエピソードに反映されて膨らんでいく。


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水性演劇部の試みでは、人々の日々を交換し演劇として編みあげること、そういった丁寧に時間を共有すること、たがいを尊重することの大切さが第一にあった。

「サイコドラマ」等と呼ばれるような臨床的な演劇療法に似た側面もあるかもね、という話を以前からしたりもした。それもあるかも知れない。でも誰かが先生というわけではないし患者という訳ではない。終わりにも結果、何が成されたのかは誰も分からない。


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けれど、そこからたった一度きりの演劇として、たった一度きりだからこそ浮かび上がることが出来る新しい演劇の形がそこに見えてきた。見えて、見えたところで、そのときだけで終わり、再演することも出来ないのが寂しくもあるし醍醐味でもある。はじめて会う人たちだけで作る再現性を持たない演劇。皆が作者で演者である、演劇のかたち。まったく新しい演劇の形、なのかも知れない。



さて、今後どうなっていくでしょう?


前澤秀登





 
 
 

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